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1. 序

 地震は最も怖い天災である。恐れていた超巨大地震が生じた。地震に伴った巨大な破壊力を持つ津波が、破局的な災害を東日本広範囲にもたらした。五百年から千年に一度の発生率と言われる超巨大地震は何故現代の地震学では予知できないのか。数ヶ月程度の範囲内で予知できたとすれば、津波の襲来は防げなかったであろうが、津波に流された多くの人命は救われたのではないか。仮に地震が予知できれば、2011年4月時点で、現在進行形で状況が変化している福島原子力発電所の破局も防げたかもしれない。確かに当初の原子力プラント設計には、設計思想の中に致命的なミスが存在した。そうした事を知ってか知らずか、考え得る範囲の確率では安全と高らかに唱え続けた原発推進論者の罪は重い。
 人知を超える自然の破壊力を我々は思い知らされた。ノアの洪水に襲われた如き荒涼たる風景は、いずれ人々が普通に生活する場に再生するであろう。それはおそらく確かな事だ。その場合、東日本大震災の経験を基礎にした知恵と経験が、どの程度まで織り込まれているだろうか。それが問題だ。早急に、人々の英知を結集し、今後数百年にわたる安寧の基礎を作れるかどうか。先の大戦後の焼け跡に雨後のタケノコの如く生じた町並みは、それはそれで面白みが無い訳ではない。でも、今回はそれでいいのか。これほどの災難を眼前にして、しかも未来に向かって確実に有効な方策を生み出せなかったとしたら、数万人の犠牲者とこれから生まれる多くの子孫に対して申し訳が立たない。
 どのような理念を基礎にして復興都市計画を作るのか。正念場であろう。其の場合、これまでの安全性等に関する議論がどのようにして致命的なミスを見逃し続けてきたのかを正しく検証しておく事は、是非とも必要な事であろう。地震と津波について、そうした観点からの検証がなされなければならぬ。加えて、日本のみならず世界の将来を脅かす可能性をはらむ重要問題は原子力の取り扱いである。戦後日本の原子力産業関係者は、長年にわたり原子炉の安全神話の構築を目指し、それはほぼ確立されたかに見えた。それ故に、新たな原発建設が大きな反対にあう事も無く、国策として決定された。原発推進のうねりが、世界に満ち始めていた時、重大事故が起こった。原発安全神話は、幾重もの虚構の上に構築されていた事が、露呈した。M9.0の超巨大地震は天災である。しかし、原発破局は天災ではない。人災である。初心に戻って、人知の及ばざる巨大エネルギーと毒性を含む原子力利用に、人類はどう対処すべきか、議論を始める必要があるだろう。この問題は、人類の行く末を決定的に定める要素をはらんでいる。

4月14日以後の加筆箇所


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Kozan 平成23年8月1日