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5.4 東電モニタリングデータの追加公表

 2011年5月28日に、東電は「当社福島第一原子力発電所のモニタリングデータの追加公表」を行った。これまで公表していなかった原発所内の放射線量測定データを公開した。
当社福島第一原子力発電所のモニタリングデータの追加公表について

                             平成23年5月28日
                             東京電力株式会社

 当社福島第一原子力発電所では、このたびの東北地方太平洋沖地震により、全てのモニタリングポスト(8箇所)および伝送装置が電源断によって使用不能となったため、それらが復旧するまでの間、モニタリングカー(移動式測定車両)を使って測定するとともに、取得したデータは放射線管理員が自ら確認・記録し、手作業で集約を行っておりました。しかも、通信回線や構内LANがしばしば使用できず、一部手渡しで情報伝達をするなど厳しい状態でありました。
 このため、通常時のように当社ホームページ上にモニタリングデータをリアルタイムで自動的に公表することはできませんでしたが、できるだけ早く公表するために、発電所で取得したデータを本店へファックス送付、その後、本店がデータを手入力することで、3月11日17時30分から、可能な範囲でランダムな形ではありますが、当社ホームページ上で掲載・公表いたしました。
 地震直後の混乱の中で、各部署ともできるだけ早く放射線情報をお知らせすることを目指して行動しておりましたが、発電所と本店との間では、放射線管理部門間のやりとりとは別に、早期のホームページ掲載のためのやりとりも行われておりました。その結果、ホームページ上に掲載されていないデータもみられました。
 また、少しでも多くのデータを取得するため、3月12日15時頃から14日12時頃にかけて柏崎刈羽原子力発電所のモニタリングカーを配備(MP4付近)しました。このモニタリングカーでは、データを2分間間隔で取得できますが、当社はモニタリングデータの公表に関して、従来から、10分間隔の値を用いることとしており、原則、それに沿った公表をさせていただいておりました。
 このため、関係各所が保有するデータと公開されたデータの照合作業を進めてまいりましたが、本日、改めて全体をとりまとめて公表することといたしました。

                                  以 上

参考:福島第一原子力発電所モニタリング追加・修正データ(3月11日〜21日)
PDF230KB
CSVデータ

 筆者は第3.6.2節において、今回の追加公開以前のデータを用いて、原子力発電所内の放射線測定データを、かつて図示化した(図3.29)。作図の際に、データに不自然な箇所が見いだされたので、第3.5節の末尾に次のコメントを書いた。

 敷地境界において500μSv/h を超える値を計測した(12 日15:29)と報告されている。しかし、公表されていた原子力発電所内の計測値には[45]、それらしき値がみられない。
 後日入手した政府の原子力災害対策本部の会議用資料[46][47][48][49]の中に、それに該当する放射線量計測値が見られた。
 この事実だけから推測すれば、東京電力は、全ての放射線量計測値を公表していない。あるいは、非常にわかりにくい形でどこかに公表している可能性もある。更に、公表する場合に、ある値以上の大きい値を削除して公表しているように推定される。
 東電はどのような放射線測定データを追加公開したのかを検討するために、これまでの公表データを3枚の図にしてみる。
  1. 3月中に東電から一般向けに公表されたデータ:図5.12
  2. 第1項のデータに、官邸で行われた原子力災害対策本部の会議用資料の記載されていたデータを加算したデータ:図5.13
  3. 5月28日に新たに公開されたデータ:図5.14
図 5.12: 事故直後からの発電所内の放射線量測定結果:最初の公開データを使って、筆者作図
\includegraphics[width=20cm,clip]{PLOTradFirst.eps}

図 5.13: 事故直後からの発電所内の放射線量測定結果:最初の公開データと原子力災害対策本部会議用資料のデータを使って、筆者作図
\includegraphics[width=20cm,clip]{PLOTradSecond.eps}
   図5.12とくらべると、上の図では、黒塗りの三角印(MP-4の値)が追加されている。意味があると思われるのは、1000マイクロシーベルト付近の大きい値であろう。特に12日のMP4の値が、当初削除されている事がわかる。これは、12日の水素爆発以後、東電内の考え方が変化した事を反映しているのではなかろうか。

図 5.14: 事故直後からの発電所内の放射線量測定結果:5月28日公開データを使って、筆者作図
\includegraphics[width=20cm,clip]{PLOTradFinal.eps}

 本図では、図5.13に加えて、数多くの補完するデータが追加されている。図5.13中の黒塗りの三角印(原子力災害対策本部資料の中のMP-4 )は、数多くのMP-4のデータの一つとして記載されている。
 原発敷地内の放射線強度の増大は、以前のデータでは、12日の午前4時40分から始まる。今回追加公表されたデータでは、3月12日の1時頃には正門モニターにあらわれる。この時点では原発の建屋は一応の密閉状態が保たれていたと考えられるので、原子炉から漏れた放射線が、1km程離れた正門付近にたどり着くまでには少しの時間が必要である。実際、東電が5月16日に公表した「東北地方太平洋沖地震発生当時の福島第一原子力発電所プラントデータ集」(サイト)の運転日誌類の1号機の11日の欄(ホワイトボード)に次の記述がある。

(10秒ー0.8 mSv)
21:51 1号 R/B 入域禁止
 これは、10秒の間に0.8ミリシーベルトの被ばく(〜288ミリシーベルト/時間)があるので、11日の午後9時51分に、1号機原子炉建屋への入室を禁止にするという意味であろう。これほど放射線が強くなる前に、放射性物質が漏れ始めている事は検知できたと推定される。これまでに再三述べて来たが(第3.6.2節)、放射性物質が漏れて来た時点で、水素も同様に漏れている事を検討課題にすべきであった。
 なお、3月11日から12日にかけて、数多くの強い余震が生じていた。下図に示す。

図 5.15: 3月11日から13日の地震。筆者作図
\includegraphics[width=20cm,clip]{PLOTeq311-313.eps}

 これらの地震が、福島原発内の作業の障害になった事は想像されるが、根本的な問題は、電源喪失から数時間の内に、事態の正確な把握とそれに基づく適切な対策が策定出来なかった事であろう。1号機の場合、機器の冠水等の状態を考えれば、時間的な余裕がほとんどないので、メルトダウンは避け難いと認識し、その上で、更なる(水素爆発による)事態悪化を防ぐ事を主たる方策にするべきであった。以上述べた指摘が出来る程度に、東電の現地対策室においては情報が得られていた事が、5月に順次公表された資料により次第に明らかになった。
 現段階(2011年5月)では、東電公表資料中の文字等の意味が不明確な点もあり、原発事故発生以来の方策に関して、関係者夫々の役割分担も明確にはわかっていない。今後公開される資料に期待する。


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Kozan 平成23年8月1日