参考資料:参議院予算委員会記録より
第177回国会 予算委員会 第9号
平成二十三年三月二十八日(月曜日)
○佐藤ゆかり君 様々な二次災害的な十一日以降の原発現場における事故の連発につきましてはまた後ほど触れてみたいというふうに思いますが、これと同時に、やはり三月十一日、この震災が発生した直後の夕方ですけれども、政府としては既に緊急事態宣言というものを発令しているわけでございます。緊急事態宣言を発令しますと、当然ながらそのことの意味というのは、内閣総理大臣の下で全ての基本的には権限や決定力が掌握され、そして結果責任についても、国難ですから、内閣総理大臣が一手に結果責任を引き受け、決断を下すと、そういう事態であるということを意味しているわけであります。
そういう中で、総理が今回、被災したこの福島原発をヘリで視察をされたと。早速視察をされたわけでありまして、保安院の方も同行されたようでありますが、そのことによってこの原発事故が勃発した初動が遅れたという指摘も一部に出ているわけであります。ヘリで総理が来られますと、いろいろ危険な放射性物質を含む蒸気を発散させるいわゆるベントという作業も初動として立ち遅れたというような意見も現場からは上がっているようでありますが。
その一方で、東電側も、総理は当初は十キロ圏内すぐに退避だと、あるいは真水では足りないだろうから海水まで入れて放水するんだということを直後に御発言をされたというような観測もあるわけでありまして、一方で、そういう総理の御意向に対しては、伝わった東電側は、いや、海水を入れられてはもう原子炉が使えなくなってしまう、それは困るということで激しく抵抗をしたということも観測として伝えられているとおりであります。
言わばこの東電側の激しい抵抗、経産副大臣、それは御存じでおられましたでしょうか。そしてまた、保安院の同行者の方、総理がヘリで視察に行かれて現場が困惑したこと、御存じであったか、それぞれお伺いしたいと思います。
○副大臣(池田元久君) まず、事故発生翌日早朝、総理が自衛隊のヘリで現地に行きました。同行者は保安院ではなくて、安全委員会の委員長お一人と、あと官邸関係者と。
そして、初動体制のいろいろな問題でございますが、これは事後に予断を持たずに徹底的な検証を行う必要があると思いまして、そこでレビューをされるものと私は理解しております。
ベントの時期も、最初の段階で早くやらなければならないということでは関係者の見解は一致していたと私は思います。また、放水等につきましても、東電の要請などもありまして、初期の段階から手を尽くしていたことも事実でございます。
海水注入について抵抗したとか何かそういう話がちまたでは出ておりますが、私の知る限り、そういうことは承知をしておりません。
○佐藤ゆかり君 総理のヘリに同行された原子力安全委員会の方の御答弁をお願いします。
○政府参考人(班目春樹君) 原子力安全委員会委員長の班目でございます。
この事故が起こった直後に安全委員会としては、この問題を収束させるのは、いずれにしろ水を注入すること、そして発生する蒸気をベントすることしかないということは即座に判断してございまして、そのことについては、総理ではなくて、たしかあのときは海江田大臣だったと思いますが、にお伝えしてございます。このことは私がお伝えする前から大臣の方は承知で、既に東京電力の方に対して指示済みであったというふうに思っております。その後、どういうわけかが、私のところにはさっぱり上がってこないんでございますが、なかなかベントがされていないということは確かに事実でございます。
それからもう一つ、総理と同行して現地に飛ばさせていただきましたが、そこは総理が原子力について少し勉強したいということで私が同行したわけでございます。現地においてですね……(発言する者あり)済みません、現地において、特に総理が行かれたことによって何か混乱があったというふうには私は承知しておりません。
○佐藤ゆかり君 勉強している暇はないんですね。地元の危機、緊急対応の初動がこれによって遅れたとするならば、本当にこれは人災とも言わざるを得ないわけでありますね。
私がこれ今申し上げたいことは、要は、ある意味では東電任せにすっかりしていた初動の遅れ、そして政府は政府で訳の分からない、複雑怪奇に様々なこの緊急対応部署ができ上がっていると。幾つか、もうたくさんあって私もよく訳が分からないんですが、まず、総理が本部長を務める東日本大地震緊急災害対策本部、それから原子力災害対策本部、これがあります。それから枝野官房長官が本部長を務める電力需給緊急対策本部があると。そして、原発対応については、さらにこの原子力災害対策本部と並立して福島原子力発電所事故対策統合本部、そしてさらに現地には原子力災害現地対策本部と。それに原子力安全・保安院がさらにかかわっていて、それに対してさらに原子力安全委員会という存在もあるんですね。一体、誰が何をコントロール、いつ、どのようにしているのか全く見えてこないんです。それが国民の不安の大きな要因ではないかというふうに思うわけでありますが。
それで、この司令塔が不在と。一元化できないで司令塔が不在であるということに今回の危機対応の体制的な問題というものを認識されないでしょうか。この全体の担当を……
第177回国会 予算委員会 第10号
平成二十三年三月二十九日(火曜日)
○礒崎陽輔君 あなたは日本国の内閣総理大臣なんです。陣頭指揮もそれはあるでしょうけれども、それは日本国の最高責任者が原発の現場に行くという話じゃないでしょう。もうちょっと、だったら大臣レベルあるいは副大臣レベル、そういう人たちが現地に行ってやるということはあるかもしれないけど、あなたは日本国の最高責任者なんですよ。それが指揮所を離れてどうするんですか。全くおかしいと思いますよ、私は。
そのときどういう状態であったか。昨日の班目委員長の答弁でもありましたけど、十二日の午前一時前後から、もう海江田経済産業大臣が東電に対してベントをしろ、ベントをしろ、ベントをしろ、ずっと言い続けておる。なぜそう言ったかといったら、もう今にでも炉心融解が起こるかもしらぬという、そういう認識をしたんでしょう。それだけの状況だったんですよ。
今ベントを決めって、ベントをすれば直るんですか。直らなかったじゃないですか。今こんな状況になっておる。そんな緊急事態のときにあなたが現場を視察した。
結局、東電がその間なぜ、海江田さん、なぜ東電はそこで言うことを聞かなかったのか、答弁してください。
○国務大臣(海江田万里君) 礒崎委員にお答えを申し上げます。
あの地震が発生をしましてから、その日の深夜と申しますか、あるいは翌日の深夜と申しますか、まず、最初にございましたのは、これは日付が変わりまして十二日の土曜日の午前〇時四十五分でございます。これは十五条事案発生ということで、これは保安院の方から、このときは格納容器の圧力が非常に上昇をしているという報告がございました。
それを受けまして、今総理からもお話がございましたけれども、総理を始め保安院の院長、それから原子力委員の委員長、そして私も加わりまして、この事態にどう対処をするかと。このままこれを放置をしておりますと、やはりこの格納容器が破壊をされるおそれがございますから、これに何とか対処をしなければいけないということで、どういう具体的な対処の仕方があるのかということから今御指摘のありましたベントの話が始まったわけでございます。そして、急がなければいけないということで、〇一時三十分に総理と私との判断でこのベントをしようということを決めたわけでございます。
そして、直ちにその旨を通報をいたしました。東京電力の派遣、代表の方もいましたので、すぐ直ちに口頭で連絡をして、そしてその人が東京電力の本社、ここに本部がございますからここに連絡をしていたということもございまして、ところが、それは了解をしたということでございますが、なかなかこれが開かないということがありまして、それがずっと実は夜中じゅう続きました。
そして、私は、〇三時五分に経産省において、このベントを開けるという指示も初めてのことでございましたので、会見をやりまして、もう既に東京電力にそういうことを命じてありまして間もなくベントが開かれるでありましょうと、ベントが開かれますと、やはり、これはウエットベントといいまして、水を通しての放出でございますけれども、それでもやはり放射性物質の飛散は避けられないわけでございますから、そういう注意も促したところでございます。
そして、その間、私は基本的に官邸の中の危機管理センター、そしてその危機管理センターの中で小さな部屋がありまして、そこに総理と一緒にこもりまして、あのベントどうなっているんだということで、そしてずっとこれは東京電力に早くベントをやるようにということを促していたところでございます。
東京電力としては、なかなかそのベントができない理由というのは、やはりそのベントを開けるのには、これは電気で開ける部分とそれから手動で開ける部分がある、電気で開けようと思っておるんだけど、これが電源が失われていてどうしても開かないということがございまして、そして最終的には、翌日になりましてまさに手動で開けたわけでありますが、その間のやり取りが非常に大変であったと。しかし、東京電力も、私どもの指示でございますから、それをしっかりと受け止めるべく努力はした、しかし今言ったような事情で開けられなかったということだろうと思っております。
○礒崎陽輔君 ちゃんと答えていないと思いますよ。
班目さんが言うのは、あなたがずっと言い続けていたという。我々の資料があるのは、東電がベントをしますと返事をしたのは、総理がヘリコプターで帰った、まあ下には降りなかったんでしょうけど、八時三十分だというの、朝の八時三十分。その間ずっと何をやっておったんですかと私は聞いておるんですよ。何やっておったんですか、それまでに。
○国務大臣(海江田万里君) 今もお答え申し上げましたけれども、とにかく東電には、ほぼ一時間置きぐらいでございます、これは総理と一緒にその場にいながら、先ほどもお話をしました、その現場に居合わせた東電の方、あるいは東電の本社、あるいは東電のその現地に対して、これは福島第一の発電所でございます、そこに対しても電話をしまして、どうしてベントが早くできないんだということをずっと言っておりました、これは。ベント弁を開けるための促進をずっとしておりました。
○礒崎陽輔君 いや、だから、あなたが言ってないって言ってないんですよ。あなたが一生懸命言っていたのは私も聞いている。聞いているけど、東電が八時半まで聞かなかったんでしょう、これは。それはなぜかというんです。
あとの開くとか開かないとか、圧縮空気がなかった、それを調達するのに四時間掛かった、それは八時半の後ですよ。だから昼の二時半まで掛かったわけでしょう。
八時半まで東電が何で言うことを聞かなかったのか、あなたがどういうふうにそれを承知しているのかということを聞いているのです。ちゃんと答えてください。
○国務大臣(海江田万里君) 先ほどもお答えを申し上げましたけれども、東電はやるやるということを言っていたんです、これは。そして、やるための努力もしていたやに私は受け止めております。しかし、現実ができなかったということでございます。
○礒崎陽輔君 そこも後で検証せにゃならぬ重大な問題でありますけれども。
とにかく、それぐらいの緊迫した、要はメルトダウンの可能性があるから早く状況を脱しなきゃならぬ、だけどなかなか東電からまともな返事が来ない、どうすればいいんだ、時間が間に合わぬ、弁は開かない、一つは電磁弁だから止まっている、もう一つは手動弁だけど圧縮空気がないんで開かないと。こんな緊迫した状態だったんですよ。そんな中であなたがヘリコプターに乗って視察に行った。おかしいじゃないですか、これは。そこに初動のミスがあったと言われたって仕方がないじゃないですか。
もう一度、総理、答弁してください。
○内閣総理大臣(菅直人君) 先ほども申し上げましたが、私は、この原子力事故の報告を聞いたときに、大変重大な状況である、あるいは状況になり得るという認識をまずいたしました。
そこで、先ほど来、海江田大臣からもお話がありますように、東電関係者あるいは保安院あるいは原子力安全委員会、そういう責任者にお集まりをいただいて、官邸の中で協議をしながら指示をそれぞれの立場で出しておりました。
そういう中で、やはり現地に対して状況がなかなか間接的なことも多くてつかみ切れないという状況もありましたので、私は、翌日の早朝に、一方では地震や津波の現状を視察をするということと併せて、短時間ではありますけれども、現地の第一発電所に赴いて、その現地で、現場で指揮を執っている人と状況の話を聞く、このことは私は、今においても、その後のいろいろな展開の中で大変厳しい状況が続いておりますけれども、そういう話ができ、現地の状況を伝えていただいたことは大変その後の判断に役立ったと思っております。
先ほど来申し上げておりますように、本部にいて指揮を執るということももちろん重要でありますが、状況によっては陣頭指揮といってやはり現場の状況を把握して指揮を執るということも極めて重要だと思っておりまして、そういう立場で行動したと、私はそういうふうに思っております。