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10. あとがき

 火力発電所は発電を停止すれば、それで問題は終わりである。原子力発電所の場合、発電を停止しても、それは、その後の延々と続く作業の序章でしかない。核燃料が炉心にあるうちは、常に安定冷却が必要である。使用済みの核燃料の処理は末代まで必要とされる。耐久年数を過ぎた原子炉解体には、これまた時間と金と労力が必要だ。コストはエネルギー源の種類選択の一つの大切な指標であろう。原発の場合、こうした諸々の経費を組み入れて、コストを比較せねば、何の意味もない。
 原発関係者は原子力は安全と言い続けた。安全確率向上のために、膨大な労力を投資してきた。原子力産業と研究の裾野は膨大である。そうした上に構築された安全の如何にもろかったことか。得られた安全確率には何の意味もなかった事が事実によって証明された。危険性がエネルギー源選択の重要な指標である事も明白となった。
 過去をひるがえれば、原子力発電が魅力的に見えたかの時期があった。しかし、今はどうだろう。新たなエネルギー源が科学技術の進歩によって見いだされている。中でも、太陽エネルギーは魅力的だ。これは安全かつクリーンである。システムとして眺めた時に、分散型の小エネルギーシステムには多くのメリットがある。筆者は、国をあげて全面的な太陽エネルギー利用へと転換すべきだと思う。今のままのエネルギー変換効率でも、この転換は可能である。望むらくは、いくらかの変換効率の向上である。そうすれば、今後の利用は飛躍的に伸びるだろう。
 日本の総電力中で、原子力が占める割合は3割に満たない。ならば、これを全廃するのはいと易きことではないか。しかも、現時点(4月10日)では、東電の原子力発電17基のうち、稼働しているのは、わずかに4基にすぎない。既に、計画停電、あるいは総量規制の方法によって、節電にも慣れた。
 それが無くても平和に幸せに暮らしていけるなら、それはいらない。
 抗すべからざる天災がある。M9.0巨大地震の発生を阻止する手だてはない。そして津波が襲来した。ひとときの時間遅れがあって、僅かな選択余地に恵まれたが、多くの方々にとって、厳しすぎる選択であった。犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。福島原子力発電所から20km以内のそうした方々は、加えて、津波以来一ヶ月の間、捜索さえも叶わなかった。これは人災である。千人以上の国民が、この平和な日本で、波間に一ヶ月も放置されるという不条理が許せるのか。
 いにしへから伝わる教えがある(論語)。
己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
 他の人の立場に置き換えて考えればよいという事であろう。簡単な教えだが、なかなか難しい。ところが、この場合は簡単だ。何の理由もなく波間に放置される我が家族や友人を想像して、その災悪のよって来る源を許せるや否や。
 現在、原発崩壊は進行中である。この先、重大な危険に進む可能性は未だに減ってはいない。
 それ故、この時点で本メモは完結しているわけではなく、今後の推移に従って、加筆訂正が必要と思う。最近は即効性と対話性に富むツールがネット上で主流であり、その有用性は理解している。しかし筆者の手にはあまる。
 専門外の事にて、初歩的な誤解・ミスの可能性が存在する。そんなわけで、ご意見、ご批判等はメイルしてくだされば、別章を設けて対応する所存です。

2011年4月12日 加藤湖山

e-mail: kozan27ho@gmail.com


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Kozan 平成23年8月1日