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我が国は、原子爆弾の被ばく国であり、水素爆弾の放射能の被ばく国でもあった。これらの体験を経て、原子力(核)に対する基本的な国是非核三原則「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」が定められた。
福島第一原子力発電所の事故により、国民は三回目の被ばくを体験した。今回の被ばくは、人数の多さと地域の広さの点において、爆弾による被ばくを凌ぐ深刻な規模である。放射線のピーク強度が爆弾ほどには高くない故に、強烈なインパクトを与えないにすぎない。くわえて、もう一つの深刻な事態は、大量の放射性物質を大気中と海中に放出する事により、初めて被ばく加害国となり、全世界に多大の被害を与えた事だ。
原爆被ばくの後、日本人はその体験を反映させ、非核三原則を世界に向けて宣言し、世界の非核化運動の先頭に立って歩んできた。ならば、原発による被ばくと加害国化という体験は、どのような選択肢を我々に与えているのであろうか。台風等の単なる風水害とは違って、原発事故は、日本の社会、文化のありようを変える程のインパクトを与える大事件と感じる。
既にその答は見えている。脱原発社会の実現である。現在、開発途上国においては、エネルギーを原発に頼ろうとする選択が一般的である。その選択は、見かけの上で原発のエネルギーコストが安そうに見えるという経済的な理由によってなされている。そうであるならば、日本が、持てる科学技術を結集して自然エネルギー依存社会を低いコストで実現する事に成功すれば、世界の原発国は、低コストとそれに付随する便利さ、危険の少なさに魅力を感じ、雪崩をうって脱原発を実行するであろう。今の日本だからこそ、世界に先駆けて実現できるそうした自然エネルギー依存社会――これが日本の目標となろう。
筆者が不思議に思っている事を述べる。それは、いわゆる保守派の人々に原発を推進する意見が多くみられ、更に、事故後も原発推進を唱えている事である。保守の人々は、日本の文化を尊重する心情を強く持ち合わせるが故に、日本の社会の根底を愛し、それが永続する事を望む気持ちも強いはずである。原発事故は、ローカルとは呼べない程の広範囲の地域の人々の生活を破壊し、文化を破壊し、土地から人々を追いやった。放射線の時間スケールの長さから考えると、一人の人生の中で取り返す事が難しい程の生活と文化の破壊が生じたのである。そして、忘れてはならない事は、同じ事が東京を中心とする関東地方で起こっていても何の不思議もなかったという福島原発事故の深刻さである。そうした事を全て理解した上での原発推進なのでしょうか。国敗れて山河だけが残る。それでいいのだろうか。これが筆者の疑問である。
チャップリンの映画「独裁者」では、国を追われるハンナの悲痛な叫びが聞こえる。たまたま7月23日にNHK「飯舘村 悲劇の百日〜」が放映され、村を離れる人々の心情とつぶやきが重なる。
ここで暮らせるのなら素敵だわ。どんなに辛くてもここが一番いいんだわ。立ち退かないで済むならこんな素敵な事はないわ。
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Kozan
平成23年8月1日