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8.1 原子力基本法

 原子力発電推進が国策といわれた所以は、1955年に成立した原子力基本法に、その根拠があるようだ。その前年に、初めての原子力関連予算獲得に奔走した中曽根康弘氏は次のように当時を回顧する[90]。
アメリカに原子力産業会議ができて、軍用から民間の平和利用に移行するときでした。それで、これはたいへんだ、日本も早くやらないとたいへんなことになるぞ、とサンフランシスコに戻って、バークレーのローレンス研究所にいた理化学研究所の嵯峨根遼吉博士に領事公邸にきてもらって二時間ぐらい話を聞きました。嵯峨根さんはひじょうにいい助言をしてくれました。
 一つは、「国家としての長期的展望に立った国策を確立しなさい。それには法律をつくって、予算を付けるというしっかりしたものにしないと、ろくな学者が集まってこない」と。それから一流の学者を集めるにはどうしたらいいかとか、そういう話を聞いて帰ってきました。
 当時、学術会議では、原子力平和利用の研究をやろうという動議を伏見康治さんや茅誠司さんが二回ぐらい出していましたが、いつも否決されていました。共産党系の民主主義科学者協会(民科)が牛耳っていました。それで、こうなったら政治の力で打破する以外にない、これはもう緊急非常事態としてやらざるを得ない、そう思いましたよ。研究開始が一年遅れたら、それは将来十年、二十年の遅れになる。ここ一、二年の緊急体制整備が日本の将来に致命的に大切になると予見しました。そしてその打開はあんな民科の連中なんかに引きずり回されているような学会では不可能だと。
 そこで、いろいろ勉強して、川崎秀二、椎熊三郎、桜内義雄、稲葉修、斎藤憲三君らの支持を得て、二億三五〇〇万円の予算を組みました。当時、予算は自由党が組んでいましたが、改進党の賛成がないと成立しないわけですよ。それで、予算審議がはじまって三月の成立直前に、突如、修正案を出したわけです。
(Q)根回しなしで?
 ぜんぜんしなかった。改進党が賛成するかしないかで決まるわけでしょう。そのとき、予算委員会の筆頭理事として、これを呑まないと賛成しないという条件を突きつけた。党の中枢には、こういうことをやるよとは一応伝えていたんですが、かれらもよく理解していたわけじゃなかった。それで、自由党は困ったが、採決直前だったから、もう呑まざるを得ないというわけで、あれよあれよという間に通ってしまった。
 そして、予算委員会を通った翌日、本会議にかけるわけですが、その間に、新聞、ラジオはいっせいに反発してきた。「原爆をつくるんだろう」とか、「無知な予算だ」とか、「学術会議に黙ってやった」と非難囂々でした。――略――
(Q) あの二億三五〇〇万円という数字にはどういう根拠があったのですか。
 ウラン235の二三五ですよ(笑い)。基礎研究開始のための調査費、体制整備の費用、研究計画の策定費などの積み上げです。
 この回顧談がどこまで事実に即しているかについては検討の余地を残すが、日本で初めて原子力関係予算がついた事情が大体理解できるのではないか。

 中曽根氏は海軍の経歴があるという。ここに述べられている予算を通すやり方は、戦前に軍部が中国への侵略を始めた経緯を彷彿とさせる。軍部の「バスに乗り遅れるな」という見解は、結果的に未曾有の大惨事をもたらす戦争の引き金となっている。満州侵略は、既成事実を作れば、その後はなんとかなるという無法な考えから始められた。その動機は、このままでは日本はやっていけないという危機意識であったが、戦後の日本の発展は、満州が日本の生命線ではなかった事を如実に証明している。
 こうした事から、おそらく民意に反する形で、核エネルギーの利用という既成事実が始められたと考えてよいのではないか。核エネルギー利用にあたり、世界唯一の原爆被ばく国であるという体験に基づく国民大多数の核忌避意識との乖離をどのように解決するかという問題に対しては、何ら注意が払われずに、とにかくスタートしてしまった事が理解される。こうしたスタート時の経緯が、その後の原子力推進派と反対派の相容れない対立を生んだといってもよいのではないか。即ち、「バスに乗り遅れない為に、何がなんでもつくる」という当初の発想は、それに反対のもの全てを排除するという原子力推進側の体質を決めてしまった。学問的に結論される地震や津波の大きさが原発立地を制限するのであれば、制限しないような研究結果を生み出す学説と学者を重用すればよいわけであり、核忌避意識を持つ国民に向かって、原発から大量の放射能が放出される危険性があるなどとは、万に一つも言ってはならぬなので、原発過酷事故は安全指針の対象から外された。こうして、原発推進に不利益となるいかなる情報も、これを公開すべきではないという隠蔽体質が構築される。この隠蔽体質は、努力すれば改善されるという性質のものではない事を指摘しておこう。
 ほぼ一年後に、原子力基本法[91]が成立して、日本の原子力推進体制の骨格が定まった。重要な条文を引用する。

原子力基本法
(昭和三十年十二月十九日法律第百八十六号)
最終改正:平成一六年一二月三日法律第一五五号
第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、原子力の研究、開発及び利用を推進することによつて、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。
(基本方針)
第二条 原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。

第二章 原子力委員会及び原子力安全委員会
(設置)
第四条 原子力の研究、開発及び利用に関する国の施策を計画的に遂行し、原子力行政の民主的な運営を図るため、内閣府に原子力委員会及び原子力安全委員会を置く。
(任務)
第五条 原子力委員会は、原子力の研究、開発及び利用に関する事項(安全の確保のための規制の実施に関する事項を除く。)について企画し、審議し、及び決定する。

2 原子力安全委員会は、原子力の研究、開発及び利用に関する事項のうち、安全の確保に関する事項について企画し、審議し、及び決定する。

(組織、運営及び権限)
第六条 原子力委員会及び原子力安全委員会の組織、運営及び権限については、別に法律で定める。

第三章 原子力の開発機関
(独立行政法人日本原子力研究開発機構)
第七条 原子力に関する基礎的研究及び応用の研究並びに核燃料サイクルを確立するための高速増殖炉及びこれに必要な核燃料物質の開発並びに核燃料物質の再処理等 に関する技術の開発並びにこれらの成果の普及等は、第二条に規定する基本方針に基づき、独立行政法人日本原子力研究開発機構において行うものとする。
 原子力基本法の目的は、「人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与すること」である。原子力の研究、開発及び利用は、「平和の目的に限り」、「安全の確保を旨」として行うと明記されている。原子力推進の中核となるべき3機関(原子力委員会及び原子力安全委員会、そして独立行政法人日本原子力研究開発機構)の設置が決められている(当時は別名称)。
 原子力委員会は「原子力の研究、開発及び利用に関する事項(安全の確保のための規制の実施に関する事項を除く。)について企画し、審議し、及び決定する」と決められているので、ほとんぞ全権があるといえるだろう。
 原子力安全委員会は、「原子力の研究、開発及び利用に関する事項のうち、安全の確保に関する事項について企画し、審議し、及び決定する」と規定されているので、本来ならば、原子力委員会が持つ機能の中で「安全の確保に関する事項」だけを特に分離したと考えてよいだろう。しかし、原子力委員会の条項の中には、更に詳しく「安全の確保のための規制の実施に関する事項を除く」と記されているので、「実施」に関する以外の安全に係る事項について、原子力委員会にも権限があると解釈できそうである。筆者は法律の解釈については勉強していないので、これらの条項が一般的にどのように解釈されているかについては知識を持ち合わせていない。条文を素直に読んだ時の解釈を記した。
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Kozan 平成23年8月1日