局所的に強い放射線ダストは固まりとなって地表に落下した様子がわかる。本図についてレポートでは次のように解説している。
赤の細い線は、測定した経路を示し、矩形の太線が、等高線を示す。青から赤になるに従い、放射線量率が高くなることを示している(この値は車中での線量率である)。一番南の赤い所で毎時18〜20 マイクロシーベルトである。更に、この強い放射線の由来と経路等については、次の結論を記している。
村役場周辺を含む村内北西部の放射線レベルは毎時5〜7マイクロシーベルトで、伊達市方向へ向かう峠を越えると毎時2〜3マイクロシーベルトに減少した。村内北東部では、飯舘牧場付近の毎時4〜5マイクロシーベルトから大倉付近の毎時2〜3 マイクロシーベルトへと減少した。
村の南部地域では、北部に比べて大きな放射線レベルが認められ、比曽川沿いの下比曽から蕨平にかけては、毎時10 マイクロシーベルトを超える放射線レベルが認められた。この地域での車内での最大値は毎時20 マイクロシーベルトであった。この地点おける車外道路上(地上約1m)の線量は毎時24 マイクロシーベルトで、隣接している畑地では毎時30 マイクロシーベルトであった。車、建物等よる放射線遮の効果(放射線量率の透過係数)は、車で約0.8、木造家屋で約0.4、コンクリート建物で約0.1 と見積もられた。
3 月15 日午前の2号炉格納容器破壊または4号炉使用済み燃料プール火災にともない放射能大量放出があり、それが北西方向に流れて『高放射能汚染トレース』が形成されたものと推察される。放射性ヨウ素がかなりの割合で存在することを考えると、06:10 に発生した2号炉格納容器破壊にともなう大量の放射能放出が北西方向へ向かったと考えるのが妥当であろう。
3月15 日06:10 の格納容器破壊で放出された放射能雲が約12 時間かけて飯舘村近辺に達し滞留・沈着したものと思われる。
半減期の長いものが沈着した場合には、厄介な事態となる事がわかる。セシウム134は2年、セシウム137は30年。
本図について、報告では次の議論をしている。
図5に基づくと、3月15 日の沈着から90 日間の積算被曝量は、曲田で95mSv、村役場で30mSvと予想される。この値は、あくまで牧草地などの土壌の上に常時滞在する場合であり、車中で2/3程度、木造でも家の中では1/2 程度、コンクリート製の建物中では1/10 に軽減されるものと考えられる。
なお、原子力安全員会の『原子力施設の防災対策について』に定める『屋内退避及び避難等に関する指標』においては、外部被曝による予測線量(放射性物質又は放射線の放出期間中、屋外に居続け、なんらの措置も講じなければ受ける線量)が10〜50mSv のときは『自宅等の屋内へ退避すること』、50mSv 以上のときは『コンクリート建屋の屋内に退避するか、又は避難すること』と提案されている。飯舘村の放射能汚染状況が深刻なものであることは言をまたないものであることは確かである。
飯館村はこの時点で政府が決めた30kmの屋内退避の圏外にある。にもかかわらず、こうした測定結果が得られているからには、更なる対策が必要な事は明らかである。
第4.2節の図4.2に、15日の大量放出から二日後の福島県内の放射線量測定結果が示されている。既にこの時、原発から北40km程の飯館村付近の異常な放射線量の測定結果が得られていたので、迅速な対応が必要であった。その後、二十日を経て、相当の積算被曝量の可能性を経てからでは、対応が遅すぎる。今後の為に、こうした測定結果は生かされなければいけない。