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事故後二ヶ月を経て、東京電力と原子力安全保安院から、初期対応状況や炉心状況に関するレポートが相次いで公表された。
詳細は東電ホームページ等の関連するサイトを参照していただき、ここにはその中から筆者が注目した資料を引用する。
これらの資料があきらかにしている事実を簡単にまとめると次のようになろう。
- 全電源喪失を起こした1号機〜3号機は例外なく炉心のメルトダウンを起こし、
- 引き続いて水素爆発を起こし、
- 広範囲の放射線汚染を起こし、
- その後の事故処理を極度に難しくした。
- 1号機では、事故発生から数時間後の18時頃までに原子炉水位は燃料頂部に達し、19時には既に炉心損傷が始まっていた。
- これらの事態の推移は、事前と事後の炉心状態シミュレーションの結果と大枠で一致する。
過酷事故対応時の冷却設備は1号器から3号機まで異なっていた。にもかかわらず1号機から3号機の全てが、事故後の時間差を除けば、同じような崩壊過程を示している事は、今回の事故の著しい特徴である。従って、この崩壊過程は一見すると必然であったかのように思えてしまう。しかし、原子力専門家ではない筆者の独断によれば、これは必然ではない。公表されている資料から得られる筆者の結論は次の如くである。
- 事故後の初期対応が間違っていたので、このような結果になった。
- 複数の時点で、その後の事故の進展の道を選択するチャンスがあった。
- 結果的には、最悪から二番目程度の最悪シナリオを選択した。
- 元々、福島原発はその安全性に関して致命的な複数の誤りを抱えていたので、いつ事故が生じてもおかしくはなかった。
- そうした可能性の中には、もっと酷い事故の可能性が存在した。
次節において、公表された資料を基礎に、事故の進展の重要部分について検討する。
2011年5月〜6月公表資料
次は初期対応と炉心状況に関する東電のレポートである。
保安院の見解は次のレポート。
IAEA調査団の暫定レポート。
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Kozan
平成23年8月1日